ここ大阪湾に突き出た出島"舞洲スポーツアイランド"で行われるJBCF舞洲クリテリウムは今回で第33回を数える伝統の大会ですが、実は実業団レースの冠を付ける前から大阪府車連主催の大会が昔から行われていた歴史ある大会だそうです。大阪まで片道約600km強。近い近い(笑)
1日目のタイムトライアル。📎ゼムクリップをも少し変形させたようなコースレイアウト。180°ターンが3箇所ある僕の大嫌いなパターンでした。急減速急加速できる足がない僕は巡航しか能がないのです。
金田さんが12:09、先にスタート。今回のT.T.もソーシャルディスタンスを保つためという理由から、スタートのホルダーさんはいません。地面に足をついて合図を待ちスタートします。
DHバーを付けていないにもかかわらず、崩れないフォームでぐいぐいスピードに乗せていくところはさすがです。
アベレージ40.52km/hでフィニッシュ。25位の記録でした。
でもってE3の僕ですが、12:51:30スタート。果たして目一杯踏めていたかどうか?いつもの苦手意識が顔を出してしまい、最初から諦めムードだったんじゃないかな?アベレージ37.71km/hというあまりにも平凡なタイムでゴール。ビリから2番目という情けない結果になりました。DHバー付いていたにも関わらずです。
思い返すとT.T.バイクに乗って調子が良かった年は、普段乗り用のバイクがT.T.バイクだったなあ。身体の一部に成り切れてませんでした。なるほどこれも経験だ。来年あると信じている渡良瀬遊水地T.T.とたかはらやまトライアスロンでは絶対失敗しない。
明日のクリテは完走する気ナッシングモードで最初からやってやる!という気持ちでホテルに引き上げました。
コンビニまで夕飯の買い出しをするついでに散歩していたところ、16:00くらいから暗雲が立ち込めて、ホテルに到着するや否や激しい夕立が始まり,風も強く吹いてあたりは暗く、昼間とは打って変わった様相。ホテルの階段の踊り場にある大きな窓からきれいな夕陽が見られると思って楽しみにしていたのに残念です。
でもって翌日のクリテ、僕の出走時間16:30を考えるとどうも嫌な予感がする。
翌6日の日曜日。
13:35出走のE1レース2組目。
脚力が拮抗している安定のメンバーのためか、時々アタックがかかるも決まらず、ゴールスプリント勝負だろうとワクワクしながら観戦していました。金田さんは終始10番手あたりをキープ。いつでも飛び出せるポジションにいたと思います。動いたのはラスト2周から。集団のスピードがギア2枚くらいは上がったと思うほど速くなりました。そして8位でゴールしました。本人はきっと喜んでいたでしょう。がんばりました。
そして、
まさかの(やはりというか)レースキャンセル…。
朝ホテルを出て会場入りし、待つこと約6時間。西の海の方に目をやると雨雲が迫ってきているのがわかりました。次第に海に打ち付ける雨音も聞こえてきたくらいです!
一緒の金田さんは別々に来ていて新幹線輪行だったので先に帰しました。此花橋渡るのも危なそうだったし。後で聞くとギリギリ濡れずに駅まで走れたと言ってたので、早めに決断してよかったなと思いました。
E3レースは3組に分けた、混走を避ける配慮がありそのため待ち時間が長くなっていました。僕は3組目でラストレース。1組目スタートの時ぱらぱらと降ってきたので、自分の時は本降りの中スタートだろうなと思っていました。1組目のレースを見守ります。たった17周回なので常に誰かが飛び出して、また吸収して他の誰かが飛び出すという予想どおりの展開でした。自分も飛び出すタイミングの参考にとイメージを膨らませました。
3周くらいしたかな、雨の激しさが増しました!視界も悪く、おそらく走行中の選手らはもっと見え難かったことでしょう。あ、第二コーナーで落車だ。
とここでレース中断、しばらく役員が協議に入り、その間雨宿りしていた救護テントに落車した選手が運ばれて治療を受けていました。あと少しタイミングがずれてれば転ばずに済んだのにかわいそう。
そして中止のアナウンス。僕の大阪ラウンドは終わりました。
ものすごく中途半端な気持ちで急いで自転車をクルマに積み込み着替え、そのまま会場を後にしました。高速道路の入り口はすぐそこで、来た時と逆のルートで車線を忙しく変更し、阪神高速を抜けて名神に入ると、もう台風の影響圏内から離れたかなと安堵しました。早くに大阪を出発したので日付が変わる前には栃木に着きました。
これから日本列島は台風シーズン。ちょっとこの先のレースエントリーは考え直さなければ。それでも次のレースに向けてまた、強度を上げて練習しよう。お休みをいただいてありがとうございました!